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チュニジア Tunisia >>関連項目一覧


カフカス テュニジアとも。北アフリカ、地中海沿岸の国。リビアとアルジェリアとにはさまれている。首都はチュニス。 古代では地中海世界で古代カルタゴの繁栄した地。カルタゴ、チュニスなど世界遺産が多くあり観光が盛ん(2008年は観光客705万人)。
*世界遺産一覧は最下段参照。
オリーブなどの農産物や燐(リン)鉱石・石油などを産出する。人口1018万(2006)。

人口の殆どがアラブ人で、先住民族ベルベル人(イマジゲン)は南部に6万人ほど。 公用語は正則アラビア語、一般生活ではアラビア語チュニジア方言を話す。都市部ではフランス語が通じる。
国教はイスラム教(国民の98%がムスリム)。キリスト教徒1%、ユダヤ教徒その他が1%。
イスラム教国としては戒律の守り方は緩やかで、ベールを着用しない女性がみられ、一夫一婦制が定着しているという。 アラブ・イスラム文化が風俗、習慣・考え方の基盤だが、統治時代のフランス文化の影響がある。
バルドー博物館(チュニス)にフェニキアからアラブまでの文化遺物がある。

歴史的にはフェニキア、ローマ、バンダル、ビザンティンによる支配を受け、 7世紀頃からはアラブ人の侵入により先住民族ベルベル人(イマジゲン)はしだいにアラブ・イスラーム化した。 19世紀からフランス人に支配された。1956年立憲君主国として独立。
中世にはアグラブ朝、ムラービト朝、ハフス朝が興亡するなか、アラブ・イスラム化が深化。 16世紀なかばにオスマン帝国の属領となり、チュニジアを統治するパシャ(太守。のちにベイと称される)を任命した。 このパシャの統治範囲が現在の国土の原形となっている。
ムラード朝(1613〜1705)はパシャの下にあった軍人集団の代表が次第に実権を握り、地位を世襲化して興した。 それにフサイン朝(1705〜1958)が続いた。

近代、19世紀前半、フサイン王朝は隣国のアルジェリア、 リビアが植民地化されるのをみて危機感を強め、富国強兵、殖産振興の近代化政策をとったが 財政支出の増加で国家財政が破綻し、1869年フランス、イギリス、イタリア3国に財政管理され、 1878年のベルリン会議を経て、1881年のバルド条約、1883年のマルサ協定でチュニジアはフランスの保護領となり、 内政についてもフランス人統監の支配下に置かれた。フランスの銀行家、企業家が、大農園を経営、鉱山を開発し、 チュニジアの経済を握って大きな利益をあげた。
形骸化したチュニジア人の主権の回復を求める民族運動は20世紀に入り激化し様々な政治組織ができ、第二次世界大戦の開戦直後、 フランスの敗戦によりビシー政権下に入り、1943年1月リビアを撤退したドイツ・イタリア軍と連合軍との間の戦いで全土が戦場となった。
1956年立憲君主国として独立した。

2011年1月、23年間続いたベンアリ政権に対する退陣デモがおき、ベンアリ大統領が出国して 政権崩壊。1月15日、メバザア下院議長が暫定大統領に就任した。
首都チュニスをはじめ、国内ではデモの余波から混乱が続き、商店の略奪や銃撃戦が起きているという。

国土は地中海性気候の北部テル地域、ステップ地域、砂漠気候の南部サハラ地域の3地域に区分される。
北部テル地域は、面積は国土の6分の1だが人口の60%が住む豊かな地域。
沿岸の平野、丘陵、メジェルダ川流域では、 小麦、ブドウ、柑橘)類、野菜、オリーブなどの商品作物栽培や牧畜が行われている。
ルケフ、スーク・エル・アルバ、スーク・エル・ケミス、マトゥール、ベッジャは農業地帯の中心都市。

チュニジア共和国の世界遺産
チュニス旧市街 Medina of Tunis
カルタゴ遺跡 Site of Carthage
エル・ジェムの円形闘技場 Amphitheatre of El Jem
イシュケル国立公園 Ichkeul National Park
ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡 Punic Town of Kerkuane and its Necropolis
スース旧市街 Medina of Sousse
ケルアン Kairouan
ドゥッガ/トゥッガ Dougga/Thugga


参考資料
ユネスコ世界遺産 (Webサイト)
・日本国語大辞典 (ジャパンナレッジ)
・大辞泉 (JapanKnowledge)
・日本大百科全書 ([執筆者:藤井宏志] 小学館)
・FNNニュース


 
関連項目一覧
カナーン(カルタゴ関連) 【文化地域項目】
イスラーム 【文化地域項目】
アフリカ 【文化地域項目】

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