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メキシコの神話・民話 Mexico >>関連項目一覧
メキシコの国花はダリアdahlia。メキシコ原産。アステカ人が栽培していたというがヨーロッパの記録としてはスペイン人のものによる。(新スペイン動植鉱物誌 1651年) 後にスウェーデンの植物学者ダールを記念してダリアと名づけられた。 古代メキシコにおける文明の歴史は、現在定説になっているメキシコ湾岸のオルメカ族が最古のもの(紀元前BC1000年頃)だと言われている。 アステカのナワトル語の詩に「誰も覚えていられない程遠い昔、東の海のほとりにタモアンチャンという場所があった」とある。 このタモアンチャンはマヤ語で「雨の国」の意。オルメカが同時代にユカタン半島のマヤ族と関係があったことを示唆する。 このオルメカ文明ではジャガー崇拝が行われていたらしく半人のジャガー像が多く見つかっている。 また、オルメカでは聖職者が常駐する祭祀のための都市があったらしく、紀元前500年頃には神殿も建てられている。 紀元後AD300年頃には廃れたオルメカに代わってテオティワカン文明が登場する。この頃には都市は神域を中心に市街地が広がる形態になっていたようだ。 はじめにオストヤワルコに、そして紀元後AD700年頃までに同じ規模の18平方キロにおよぶテオティワカンなど壮大な都市ができるようになっていた。 ケツァルコアトル、トラロク、シベ・トテク等はこの頃からの神々である。 テオティワカンとはナワトル語で「神々の都」の意で、 後のアステカ時代の人々は記憶の失われ荒廃した、しかし壮大なこの都市を見て「神々がつくった都市」と考え、王たちが巡礼したという。 (テオティワカンについては諸説あり紀元前BC2世紀頃から紀元後AD8世紀ごろに栄えたともいわれる) 最近の発掘でようやく楔型文字の原形のようなものが発見されたというが、文字の記録が発見されていないため多くが分からない。 この文明も紀元後AD700年過ぎ、北方からきたチチメカ族に滅ぼされたと言う。チチメカ族はアステカ語で「犬の子孫」の意。 この頃マヤ族も紀元後AD300年から頂上に神殿を構えた巨大なピラミッドを建設するなど古帝国期が900年頃まで続いた。 侵入者チチメカ族は一つの文明を滅ぼしたが後のトルテカ、アステカ文明の元となった。 トルテカは1000年頃北方から移ってきたチチメカの一部族で、トゥーラのトルテカについての記録がアステカ族の詩、伝説に残っている。 それには部族を率いた伝説上の王ミシュコアトル、また実在した息子のトピルティン=ケツァルコアトルの話がある。トゥーラはそれまでの文明の都とは違い神殿や居住地域は丘の上になり、敵に対して備えている。 また一部マヤ族の地域へ侵入したトルテカ族はマヤの職人の手により壮麗な都チチェン・イツァーを建設した。トゥーラのトルテカは1160年頃、 侵入を繰り返していたチチメカにより滅亡した。チチメカの侵入に耐えたミシュテカ族などもいたが、時代は1200年頃から現われたアステカ族に移る。 アステカ族は、はじめは小部族であったがテノチティトラン(サボテンの近所の意)に都市を築いてから、他の都市との政治的、軍事的駆け引きに勝利し続け、 1500年代には当時のロンドンの5倍の規模の30万人都市を築いた。 優れた農耕、建築、天文学等の技術を持ったこの文明も1519年、トピルティン=ケツァルコアトルが誓った帰還の年、 東より新たな侵略者スペイン人コルテスに征服され滅ぼされた。 関連項目一覧
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