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ダテマサムネ 伊達政宗(独眼竜政宗) だてまさむね >>関連項目一覧日本の歴史上の人物[生没年1567-1636]。大名武将(安土桃山時代から江戸初期)、英雄。仙台藩祖。 和歌、茶道、能楽に長じ能書家としても知られる。 戦国武将というには最も遅く登場したといってよい。徳川幕府初期までの動乱の時代に東北の一大勢力を維持し、1608年陸奥守、松平姓を賜るなど、 徳川幕府内でも一定の地位を確立した名将。 寛永13年5月24日江戸桜田邸で死去。享年70歳。仙台瑞鳳殿(ずいほうでん)に葬られた。 幼少の時に右眼を失明した。後世「独眼竜」と称された。(異名、通称)「独眼竜」は中国の古典に由来する語。 (元々は中国の李克用のあだ名。「唐書」李克用伝の故事から隻眼の英雄をいうとも。) 出羽の人。畠山・蘆名氏を倒して奥州を制覇した。 1590年豊臣秀吉に服属し、朝鮮出兵に参加。関ヶ原の戦い、大坂の陣には徳川方につき仙台藩の基礎を固めた。 海外貿易・通商を企図し、支倉常長(はせくらつねなが)をスペイン、ローマに派遣したが、 徳川幕府の切支丹(キリシタン)禁制強化のため目的を達しなかったようだ。 なるべく伝説的なものを取り上げたいが後日追記する。 詳しい歴史的な記述は以下に記す。 永禄10年8月3日米沢城主、伊達輝宗の長男として誕生。母は山形城主最上義守の娘。幼名梵天丸。 1577年(天正5)元服して藤次郎政宗と称し、1579年三春城主田村清顕の娘愛姫(めごひめ)と結婚。 1584年家督相続し、父の死後、1589年蘆名氏を破り会津を掌握。須賀川二階堂氏を滅ぼし、 石川、白川両氏を服属させて、現在の福島県の大半と米沢地方および宮城県にわたる大領土を築いた。 1590年、豊臣秀吉に服属し、会津などを没収された。1591年米沢・伊達など旧領6郡のかわり に大崎・葛西両氏の旧領を与えられ、玉造(たまつくり)郡岩出山(宮城県大崎市)に移る。 1600年(慶長5)関ヶ原の戦いのあと、徳川家康から刈田(かった)郡を与えられ60万石(のち62万石) を領し、翌年仙台城を修築してここに移った。 1607年塩竈神社、大崎八幡宮、国分寺薬師堂、1609年松島瑞巌寺を造営し、1626年(寛永3)には 北上川の石巻流出などの土木工事を完成させて、仙台藩の米作と江戸廻米の基礎を据えた。 南蛮(ヨーロッパ)との通商を企図し1613年家臣支倉常長をスペイン、ローマに派遣したが、 幕府の切支丹(きりしたん)禁制強化のため目的を達しなかったようだ(1620年帰国)。 主な位など 1585年 従五位下美作守 1591年 侍従兼越前守、羽柴姓 1597年(慶長2) 従四位下右近衛権少将(うこんえのごんしょうしょう) 1608年 陸奥守、松平姓 1615年(元和1) 正四位下参議 1626年 従三位(じゅさんみ)権中納言。。 1974年(昭和49)、瑞鳳殿再建工事の際の調査によれば、 身長159.4cmだったという。 参考文献・出典 ・大辞泉 (JapanKnowledge) ・日本大百科全書 (執筆者:小林清治 小学館) --伊達政宗 (小林清治:著 1959 吉川弘文館) 関連項目一覧
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