幻想世界神話辞典 〜
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フジサン 富士山 ふじさん (フジヤマ) >>関連項目一覧日本の最高峰の火山(標高3776m)。霊山。富士山をご神体とする神社もある。古くから信仰されたり伝承がある。 世界的にも珍しい独立峰。昔から雄大な美しい姿が愛されてきた。日本の象徴的な山。 各地の富士の見える場所には「富士見」「富士見坂」等の地名がある。 また各地の名山を「〜富士」と呼んだりする。 静岡県と山梨県の境にある。山頂の火口は直径約800m、基底の直径は35km-40km。 火口壁の最高点剣ヶ峰といわれる。 富士、不二山、不二、不尽山、富岳(ふがく 富嶽)、芙蓉峰(ふようほう)、 ふじのやま、ふじやま、とも。(その他の異称は最下段記載) 2013年6月22日、世界遺産(文化遺産)に登録が決定した。 高い山などを神格化したり聖地とすることは世界各地で多くみられる。 平安時代から信仰登山がおこなわれてきたという。 須山神社は有史記録にのこる一番古い平安時代の噴火の溶岩流の一番下の到達点につくられたらしい。 富士山本宮浅間大社(-あさまたいしゃ)が富士宮にある。浅間神社(せんげんじんじゃ)の総本宮。 「あさま」とは火山のことを意味するらしい。 富士山をご神体とし、木花之佐久夜毘売命(このはのさくやひめ)他二柱の神を祭神とする。 女神コノハナサクヤヒメには、結婚後一夜で妊娠したので疑いを晴らすため産屋に入り、 自らに火をつけて三神を産んだ神話がある。 また山神オオヤマヅミ神の娘である。 浅間神社、あさま様の神徳は農業、漁業・航海、安産・子授け、火難消除、織物業守護という。 『竹取物語』では、御門が、かぐや姫が別れの際渡した不死の薬を富士山の山頂で燃やし、煙を天に返すから 姫に帰ってきてほしいと願った。それで「不二山」と呼ばれるようになったと由来が語られている。 また能楽に『富士山』がある。竹取物語を題材にしているようで、 唐の昭明王の臣下が、昔、方士が不死の薬を求めた遺跡をたずねると数人の海女(あま)があらわれ 富士山のいわれを語り薬を与えるといって姿を消す。やがて富士の山神がかぐや姫を伴って現れ、臣下に 薬を与え、舞を舞う。 他に「山の背くらべ伝説」や 巨人だいだらぼっちの物語が各地にあり、その地方の山や地形の由来を語っている。 背くらべでは日本一のせいか富士山が多く登場する。 ダイダラボッチが富士山を背負おうとしたとか、山作りの際にこぼした泥が小山になった、 伊豆半島を片手に富士山の頂上によりかかり海水を飲み込んだなどという伝承もある。 駿河国(静岡県)の足高山(愛鷹山)は、大昔、唐土(もろこし 中国)から富士山と背くらべをするためにきたが、 足柄山の明神に生意気だと足で蹴くずされ低くなったという。 大昔、八ヶ岳と富士山とが背の高さを競い、双方の頂上へ樋(ひ)を渡し水を流し低さをはかった。 水が富士のほうへ流れたので富士は怒って、樋で八ヶ岳の頭をなぐり蹴上げた。それで八ヶ岳は低くなり、 でこぼこの頂上になったという話もある。 富士山の溶岩流による堰止湖、富士五湖がある。富士五湖も由来の伝承があり、 富士山を造った神の汗、涙でできたという。 富士山への登拝の始まりは、修験道開祖ともされる役小角(えんのおづぬ)であると伝えられている。 富士講は富士山信仰の登山が組織されたもので室町時代にはじまり、江戸時代に最も盛んになった。 江戸八百八講などといわれた。富士講の開祖は角行(かくぎょう)いう僧とされた。 白衣を着、鈴を振り、六根清浄(ろっこんしょうじょう)を唱えながら登山し祈願したという。 講中の者は、陰暦6月1日(山開き)から21日に登拝、山頂の浅間権現に参る「富士詣」をした。 御来迎(ごらいごう)と称し日の出を拝した。「お鉢巡り」といって火口を巡った。 江戸時代には宿坊や石室(いしむろ)も整備された。 山頂の富士権現社(祭神 浅間大神、木花之開耶姫命)を参拝。 山開き前に山麓の修行場で水垢離をする「富士垢離」も行った。7月27日が山じまい。 また各地に「富士塚」をつくった。 また富士山には溶岩洞窟が150ほどあるといい、角行が千日修行したという「人穴(ひとあな)洞窟」や、安産祈願の 「胎内洞」などがある。 江戸時代、富士登山で、ひとり122文を払ったという。 富士山の最後の噴火は1707年(宝永4)になる。江戸の町にも火山灰が10日間ほど降り続いたらしい。 噴火直後は昼間でも灯火が必要なほど暗くなったという。 ・噴火記録 (8世紀-12世紀が活発だったらしい 噴煙もあがっていたらしい) (『竹取物語』に噴煙は不死の薬を燃やした煙を由来として語る) 720年前後(養老年間[717-724年])? 長歌「不尽(ふじ)山を詠む歌」(高橋虫麻呂) 781年(天応1) 『続日本紀』 800年(延暦19) ★三大噴火 『日本後紀』『日本紀略』 864年(貞観6) ★三大噴火 歴史書 1083年(永保3) (*ここまでは平均して約30年ごとに噴火 この後噴煙衰える) 1400年頃 (火山灰放出のみ 溶岩流なし) 1500年頃 (火山灰放出のみ 溶岩流なし) 1707年(宝永4) ★三大噴火 歴史書、『折たく柴の記』(新井白石) ・関連した事物 一富士二鷹三茄子(縁起の良い初夢) 『富嶽三十六景』(浮世絵) 富士(武具の兜の鉢が富士山形をしたもの) 三保松原(みほのまつばら 三保ノ松原) は富士の眺望にも優れた場所で、国の名勝、県立自然公園に指定されている。 静岡市清水区三保の海岸、その一帯の松林が三保ノ松原とよばれる。 大己貴命(おおなむちのみこと)と御穂津姫(みほつひめ)を祀る御穂神社が中心。 羽衣伝説、謡曲にある、天女が羽衣をかけたという「衣掛けの松(羽衣の松)」がある。 御穂神社には羽衣の裂端(きれはし)と伝える布が陳列され、また「糸巻太刀」は国の重要文化財。 「忍野八海(おしのはっかい)」(国指定天然記念物)は、800年の噴火で北東麓にあった宇津湖が 溶岩流鷹丸尾で分断され、 湖水が桂川となって流出し干上がってしまった残り。(分断されたもう一方は山中湖)。 それぞれの湖、池の謂れにはコノハナサクヤ女神に関係した伝承もある。 青木ヶ原(あおきがはら)樹海 富士の樹海 は864-866年の山腹噴火による青木ヶ原溶岩流のあとにできた。富士山の北西、山梨県富士河口湖町・鳴沢村の原野。 富士原始林。国の天然記念物。 この溶岩流で、元々あった北麓の海(せのうみ)が 西湖と精進湖に二分された。 青木ヶ原樹海では方位磁石が狂うとか、自殺の名所であるとか、現代では心霊・オカルト的な都市伝説も多く語られる ようである。 ・富士山 異称一覧 ふじやま(フジヤマ FUJIYAMA) 不二(ふじ) 富慈 福慈(『常陸国風土記』) (フジ=アイヌ語「フチ」(火)由来説有り) 不尽山 フジイサン(岐阜方言) フジュサン(伊賀方言) フンツサン(秋田方言) 富士の高根(ふじのたかね) 富嶽 富岳(ふがく) 富岳の姿 蓮岳(れんがく) 大日蓮華山(だいにちれんげさん) 蓮峰 芙蓉(ふよう) 芙蓉峰 参考文献 ・ 日本国語大辞典 〔精選版〕 1 ・日本大百科全書 (執筆者: 小学館) ・大辞泉 (JapanKnowledge) ・ 「日本の神様」がよくわかる本 (戸部民夫:著 PHP文庫) 関連項目一覧
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