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タイラノマサカド 平将門 たいらのまさかど >>関連項目一覧


歴史上の人物。生没?-940年(天慶三年)。桓武平氏上総介平高望の孫。下総北部の豊島、猿島地方を地盤としていたが、 935年、源護と女婿平国香らと巻きこまれたかたちで争い、源護の訴えで京都に召喚、禁獄されたが大赦で帰郷。 紛争の仲介に失敗、訴えられた問題が解決しないうちに、939年11月、常陸の国衙を焼き払い「新皇」(平新王)を称し、 関東の分国化をはかった(百官をなし、諸司を召し使ったという)が、940年2月藤原秀郷と平国香の子、 平貞盛らに討たれ、京都で梟首された。戦いの時、鏑矢で死んだという。

「将門記」に行動が詳しく書かれている。後世の伝説では、6人の影武者が常に一緒にいた、 とか七尺の巨体、片方の目は黒目が2つある、鋼鉄のような硬い体だが、こめかみだけが弱点という ジークフリートやアキレウスを思わせる伝説があった。

関東から東北にかけて各地に御霊社がある。神田明神では除災厄除の神として祀られている。1309年(延慶2年)に奉祀されたという。

京で梟首にされた将門の首は歯噛みして復讐を誓った、という伝説がある。首が関東まで飛んできた、という首塚伝説もある。 非業の死をとげたものが怨霊となる、という古来からの考えがあり、鎮魂するため御霊社が多いようだ。
また怨霊も祀ることで祟り神が守護神的に働くことを期待した部分もある。江戸幕府の初期では、江戸城の周辺の寺社の配置で、 神田明神(神田神社)の位置に大手門を置いた。 1616(元和2年)に江戸城の表鬼門守護の場所として幕府が社殿が造営し、現在の地に遷座し「江戸総鎮守」とされた。 また徳川家康は関が原の合戦の前に戦勝の祈祷をしたという。
また、朝廷に対抗した将門は、関東人には英雄視された部分もあるようだ。数ヶ月の関東支配でしかなかったが、 英雄として仰がれつようになっていく。10c世紀には死後霊験譚が形成され、中世には千葉氏とその一流、 相馬氏が将門の後継者という説話ができる。妙見信仰が関わったものらしい。

 
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