幻想世界神話辞典 〜
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オンミョウジ、オンミョウドウ 陰陽師、陰陽道 >>関連項目一覧日本における魔術的、呪術的、思想的なもので、古代〜中世では国家の役職として存在した。 513年(継体天皇七年)に五経博士 段楊爾(だんようじ)が百済からきたのが、 陰陽思想が日本にはいったはじまりではないかという。 (538年、欽明天皇の時、仏教伝わる) 他には日本書紀で、天武天皇が「天文や遁甲をよくされた」という記述がある。 後に、陰陽寮(おんみょうのつかさ、おんみょうりょう)がつくられ、平安京がたてられた時、日本で初めての天文台、 占星台も建てられた。 太政官八省のひとつ中務(なかつかさ)省に属し、天皇の詔勅文の審査、官旨や上奏文の処理、国史の編纂 諸国の戸籍、朝廷の宝物の管理を行った。 また、陰陽師の育成と天文・暦・占術で天皇と朝廷の安泰をはかった。 陰陽頭(おんみょうのかみ)がトップで、次官に「陰陽助」、他に4人の博士 陰陽博士(おんみようのはくじ) 暦博士 天文博士 漏刻博士(ろうこく〜 水時計の管理、宮中行事・天皇のスケジュール管理) がいて、その下に20人の助手、その他雑役夫20人ほどで構成されていたようだ。 以下の3つのどれか学ぶ学生が10名ずついた。 陰陽道:易学、占術、祭祀、風水など呪術 暦道:月日のを測り正確な暦つくる、日時・方位に関して吉凶判断 天文道:天体運行、観測技術、それを用いた吉凶判断 このうち「得業生」という成績優秀者が、3つの分野に各3、2人だけいた。 その中から次の博士がでたりしたようだ。 安倍晴明も天文得業生から天文博士になった。 情報、使う道具などすべて機密、持ち出し禁止であったようだ。 民間には法師陰陽師とよばれる者がいた。後に武家政治や戦国時代になると、政府の管理を離れた。 戦国時代には、軍法家という、陰陽道も行う軍師がいた。 中国では戦国時代(紀元前404-221)頃に諸子百家という国家の参謀役を担う知識階級があらわれており、 主な派に儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家、農家の九つあったという。 陰陽家のスウエンという人物が陰陽説を初めて唱えたらしいが、他の派にもとり入れられたようだ。 関連項目一覧
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