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ニッショク 日食(日蝕 にっしょく) (英語 a solar eclipse) >>関連項目一覧


2012年5月21日日本 金環日食 ソーラーエクリプス(イクリプス)。世界各地の伝承、記録にみられる天体現象。「蝕」とも書かれる。太陽が、虫が葉をはむように欠けるからだという。 地球と太陽の間に月がはいってくることで、地球に月の影が落ち、 その影になる場所で、部分日食、また条件によっては太陽が完全に隠れる皆既日食がみられる。
これは月の直径と地球の距離、太陽の直径と地球の距離の関係で(太陽は月の400倍の大きさで、太陽は月の400倍の距離にある)、 太陽と月がほぼ同じ大きさにみえる絶妙の配置のためである。
日食は必ず新月の時におこり(月が地球と太陽の間にある)、半年間をおいて、年2回太陽は月との交点を通り、このころに食がおきやすいので、 この時期を食の季節という。食の季節は18.6年周期でひと周りする。年2回の交点は月と太陽の軌道が5度傾いているためである。
日食は月食に比べれば見ることができる地域が限られるが、伝承では日食・月食が一緒に語られることも多い。
古代、中世までは日食に驚いて戦争の勝敗に影響するようなこともあったようだ。
現代においては日食・月食は天体観察のイベントとして盛り上がるカンジだが、インドなどではまだ伝統的にガンジスで沐浴するなどあるようだ。

月と太陽の軌道上の交点は特別視され、インドでケトゥ、ラーフ、中国に伝わり計都羅喉(けいとらごう)が九曜になった。 ヨーロッパでも太陽と月の南北の交点ノウド、ノードは
ドラゴンの頭(ヘッド)(カプト・ドラコニス)
ドラゴンの尾(テイル)(カウダ・ドラコニス)
といわれる。
*ヨーロッパでは、コインの表をヘッズ、裏をテイルズなどともいうらしい。

古代の世界各地で日食は凶事の象徴または前兆と考えられた部分がある。
しかし農耕等、必要上から暦作りなど天文知識が高度になると日食なども予測できるようになった。
中国では「春秋」が書かれた頃(紀元前BC722-前BC481年)には日食であまり騒がなくなり日食の予想される日には君主は謹慎して過ごしたという。
また夏の時代(紀元前BC2000年頃)の物語ということだが、仲康帝の時、義氏と和氏は天文官として日食を予測し、役人や人々に知らせ 悪竜祓いの儀式が行われなければいけないのを、将棋に夢中になっていて忘れたというので斬首されたという。 (堯舜からの代々の天文職をかさにきていたこともあったという)
この時は十月の朔(さく。ついたち 新月)で日食が起きることがわかっていたという。
「春秋」には、36回の日食記録があるが、現在計算したものとほぼ一致するという。

日本での最古の日食記録は「日本書紀」にある推古天皇36年3月2日(AD628年4月10日)のものである。 王朝時代には、日食の日には朝務を廃した。日食予報は当時もあり、 陰陽寮(の天文博士 安倍晴明など)が行った。
9、10世紀頃の「三代実録」「日本紀略』にも日食記録があるが、現在計算からだと日本では見えないはずの日食や日時の記録もあり、 日食予報をそのまま歴史書に記載したらしい。
1080年の金環日食が2012年と同じく国内広範囲でみられたらしい。
1183年11月17日の金環日食は、水島での源平合戦で影響をおよぼしたとも。『源平盛衰記』によれば「闇夜の如くになりたれば」とあるようだ。
平氏側は政権側であったため、日食予測をしっていたらしい。源氏側の源義仲軍が敗れた。
江戸時代は幕府の天文方が日食など予測したが結構はずれたという。これは中国の暦を使っていたのだが、成立した時代や緯度経度などの違いの ためであるようだ。
伊能忠敬の時代にはヨーロッパの天文学もとりいれて「改暦」にとりくんでいた。正確な暦をつくることは政権のメンツもからむ一大事業であった。
幕府の暦以外に、民間でだされている暦も多くあったらしい。暦には古代からの慣例で日食・月食・惑星の合など記されていたようだ。
(日本では忘れてしまっている部分もあるが暦・カレンダーは生活暦として月齢も記されていた。日にちと月齢がリンクしていた。 「ついたち」とは新月の日である。 海外では今も月齢が記されているものもある)
江戸期も終わり近くには「金環日食」の語がみられたらしい。明治初期の瓦版では、今に近いカンジで日食イベントを楽しむふうがみられたようだ。


AD1世紀のローマの博物学者プリニウス(AD22,23 ?-79年)が著したという「博物誌」によれば、当時のローマでの知識では 十分に日食現象は解明されていて地球と太陽の間に月が通過することを語っている。また半年ごとの周期などにも書いている。 月食・日食の現象から太陽が地球よりはるかに大きいことにも言及している。 スルピキウス・ガルス等が日食、月食の予言(予報)を行ったことも記載されている。
しかし、より古代では、「犯罪や死が起こることを恐れた」ことや、 月食は「月が毒をもられ死にかけている」とも、またシンバルを激しく叩いて救いの手をさしのべる、と考えられていたことや 、アテナイの将軍ニキアスは食に恐怖し艦隊を出港させなかったこと、などを記している。
また「不吉で長引く日食」について触れ、カエサル殺害の後や、アントニウス戦争の間に起きた、と書いている。

現在でも、インドでは日食は不吉だと考え、寺院やガンジス河で沐浴をしてきよめる人もいる。
また中国では悪竜祓いが「蛇踊り」として残っている。こちらは日蝕のため、という意義は薄れてしまているようだが、 空に向かって銅鑼、太鼓を鳴らす、槍を振り上げる等、太陽を飲み込んだ魔物を威嚇する行為がみられる。

キリストが刑に処せられた時、日食がおきた、という伝承もある。

以下、世界の神話伝承にみられる日食(明示的なものと想定されるものがある)
・太陽女神の天の岩戸ひきこもり(日本神話:アマテラス:世界が暗くなる)
魔神による日の女神の幽閉(アイヌ:世界が暗くなる)
大蛇エクシュキを倒し太陽がもどる(シベリア:サハ民族)
・悪竜にのまれる太陽(中国:銅鑼、太鼓を打ち鳴らし驚かして太陽吐かせる)
・日月の精が去る(韓国:延烏郎、細烏女:世界が暗くなる)
・火の犬が日月をかむ(韓国:日食と月食のできた理由)
・蛇が太陽飲み込む(フィリピン)
半蛇の魔神ラーフが日月を飲む(インド:ヴィシュヌが斬首した魔神の首が蝕をおこす)
・日食を起こすドラゴン(ゾロアスター教)
・(ユダヤ)
怪蛇アポピスが太陽神ラーを脅かす、飲み込む(古代エジプト)
太陽と月の交点はドラゴンの頭と尾(ギリシャ、ヨーロッパ:日食・月食の起こる交点ノード)
※インドのケトゥ、ラーフ、中国に伝った計都羅喉(けいとらごう)も同じ考え方

・魔狼スコールが太陽をのむ(北欧神話:ラグナロク)
・ジャガーが太陽を飲み込む(中南米)
・天上の、青いバイプ(ジャガー)が太陽、月を貪り食う(南米アチェ民族[グアヤキ民族])

というあるいは、昼と夜のはじまりの起源説話とも思われるかはっきりしない神話伝承も多い。


※アポピスに関しては「アポピスの書」に記述がみえる
[協力:無限∞空間 様: アポピスと日蝕の記事]


アメリカでは金環日食を「炎の指輪」というらしい。わかる気がする。(ゴールデンリングかファイヤーリングか、である)

2012年5月21日月曜、朝7時頃、日本の多くの地域で日食がみられた。曇りではあったが最大時に薄曇りから金環が観測できた。 金環日食になる。(東京の食の最大は7時32分頃)
※緯度・軽度で見え方、時刻は異なる。日本で8000万人が観測できる広範囲の日食は1080年(平安時代)以来、932年ぶりだという。
金環日食としては日本国内では25年ぶり、東京では173年ぶりだという。


 
関連項目一覧
太陽 【大項目】
星、星座 【世界:伝承】
月食 【大項目】
ラーフ 【インド:月:交点、星】
ケトゥ 【インド:月:交点、星】
ラゴウセイ(羅喉星) 【中国:九曜:星】
ケイトセイ(計都星) 【中国:九曜:星】
バイプ(ジャガー) 【アチェ[グアキヤ]:霊】

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