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ブリテンの神話・民話 Britain >>関連項目一覧ブリテン島及びその他の地域からなるユナイテッドキングダム[UK](日本でイギリスと呼ばれることについては後述)という国ではなく、 ]ひとつの文化圏としてブリテンを取り上げる。とはいっても、歴史的に様々な民族が混在し、ケルト民族、 ゲルマン民族などの伝承が地域ごとに伝えられていてる。 ブリテン島は、古くは古代ローマ人がアルビオン(白い国)とも呼んだ。南部の地形が石灰質の地層だったためらしい。 現在イングランド、ウエイルズ、スコットランドの3つの地域をさす。 イングランドはアングル人の国の意。イングランドには現在イギリスの人口の80%以上が集中する。 ウェールズWalesまたはウェルシュWelshの名の起源は、一説には「森林地帯の人」という意味のゲール、ゴール語から転化したとも、 北方の語で「他人」の意で後世入ってきたサクソン人、アングロ人からの呼称であるともいう。 日本で「イギリス」と呼ぶのは、ポルトガル語のイングレスInglezがなまって用いられるようになったもの。 漢字「英吉利」をあてるので「英国」とも称される。また古くは「諳厄利亜」(アンゲリア)とも。 最古の先住民としてケルト民族のブリテン(ブリトン)人がいた。この民族の名がブリテン島の由来だという。 彼らは紀元前6、7世紀に地中海-イベリア半島経由でやってきて、ベルギーやフランスのあたりまでガリアと いわれる地域を形成していた。 他にも地中海、ビーカー、ローマ人等が紀元前3000年頃から4世紀にかけて移住していた。先史時代の巨石文明の遺跡、 ストンヘンジ(約4000年前のものだという)やドルメンを築いたのは地中海、ビーカー人だという。 ローマ人の移住は紀元前43年だという。ロンドニウムなどの都市、砦を築いた。ロンドンの語源はケルト語の リンディン(沼沢の砦の意)だという。 イングランドでは5、6世紀に北海からやってきたゲルマン民族のアングル人、サクソン人が入ってきて先住のケルト人を 追い出し多数派となった。彼らがこの地域をアングル・ランドと言ったのがイングランドの語源だという。 このアングル・サクソン人との戦いの、ケルト人の古代の口承伝説がアーサー王伝説として伝わる。 (5世紀ごろアングロ・サクソン人と 戦ったブリトン人のリーダー、アンブロシウス・アウレリアヌス。「ブリタニア列王伝」などの文献にみられる。ペンドラゴンとも。 この戦いでウェールズへの侵入を阻んだ。) アングロ・サクソン人は 最高神ウォーデンほか、トール、ティール、フレイヤなどゲルマンの神々を信仰していたが ブリタニア移住後、ジョジョにキリスト教化されていった。 7世紀以降、ケルト民族はアングル、サクソン、ジュート人の侵入に圧倒されブリテン島南西部、ウエイルズ、スコットランドに 撤退を強いられイングランドでは少数民族になる。 スコットランド、ウェールズはアイルランドと同じくケルト人の地域で、スコットランドはアイルランドから来たスコット人が、 ウェールズにはブリテン人が住んでいた。 サクソン人はヲーデン 8世紀頃、イングランド東部などにデーン人というノルマン人(北欧ゲルマン人。デンマークなどを形成していた)が789年ごろから侵入。 同じゲルマン系、といってもほとんど関係ないのだろうが、アングロ・サクソンとノルマン人の攻防が長く続く。 デーン人の法が行われるデーンロー地方などができた。サクソン人、ウェセックス王アルフレッドは 善戦し、886年グスルム王と協定してデーン人の境域を定め防衛。 10世紀末のエセルレッド2世時代さらに大規模に侵入があり、991年からはイングランドにデーン人の侵入に備えた地租「デーンゲルド」が 徴収された。 1016年デンマーク王子クヌート(クヌード)が、エドマンド王を破り、エドマンドの死後イングランド王となって、デーン朝を開く。 厳格な統治をしたが、クヌートの死後数年で王朝は断絶。 他にフランス人の王朝もおきた。 1066年、ノルマンディー公ウィリアム1世がイングランドを征服してノルマン朝が成立。これは1154年、4代で断絶。 1154年、プランタジネット朝の成立(フランスのアンジュー伯アンリがヘンリー2世として即位)で、 大陸に広大な領土を有するフランスのアンジュー家の帝国に組み入れられたりもした。 1337年、エドワード3世の時、百年戦争が勃発する(-1453年)。この戦争でイングランドはフランス領のほとんどを失った。 1399年、リチャード2世が廃位されてプランタジネット朝断絶。 1455年-1485年、内戦であるバラ戦争(ランカスター、ヨーク両朝の戦争[エドワード3世の分家])により国土は荒廃。 1485年、テューダー朝のヘンリー7世即位。スペインと婚姻関係を結ぶなど対外関係の強化を図る。 息子のヘンリー8世はスペインのアラゴン王女と結婚に不満を持ち、これがイギリス国教会の誕生につながる(後述) 1558年即位のエリザベス1世(ヘンリー8世の娘)統治下で海外進出の気運高まる。海軍はスペインの無敵艦隊を破る。 イギリスは他の羊毛工業の発達などによりヨーロッパ諸国より早く封建制の解体が早かった。 資産階級のジェントリが台頭。 1603年、エリザベス女王死去しテューダー朝は断絶(女王は独身だった)。 スコットランド国王ジェームズ1世によるステュアート朝がはじまる。 1642年、チャールズ1世の専制政治に反対する市民革命、ピューリタン革命がおきる(王は断頭台で処刑)。 共和制、名誉革命、立憲君主制へと政治体制が移り、近代市民社会が展開。 国内の地主寡頭支配のなか、海外に植民地を建設。 1707年、イングランド王国とスコットランド王国が統合したとき、グレート・ブリテンの名が正式に定められた。 18世紀後半、世界で最初に産業革命がおこる 1801年、グレート・ブリテンとアイルランドの統合のときに「グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国」となった。 宗教的には、ローマ・カトリックだったがヘンリー8世の離婚問題に端を発し、カトリックから分離し「イギリス国教会」となった。 16世紀ヨーロッパを襲った宗教改革のなかで 形のうえではプロテスタントを選びながら、内容や祭式のうえでは古いカトリックを切り捨てずに中間の道をとったというが、 教会のトップが国王という点で他のプロテスタントと違う(宗教改革でカトリック協会から分離したものを大きなくくりでプロテスタントという)。 「中道」(ビア・メディア)というのがイングランド教会の基本的精神だという。 言葉 ・ハイランダー Highlander (スコットランド) スコットランド高地人。スコットランド北部のハイランドHighlands に住むゲールGael人。 あるいは一般的に高地地方に住む人々。 または「高地連隊兵」。 ・フィッツジェラルド(人名) Fitzgerald。Fitzは[〜の]息子の意味。かつては王族の姓の前につけ、 通例で王族の庶子であることを示したという。現在では姓として一部残る。 Fitzroy王の庶子、王子、から。 geraldはゲルマン語(Normans)の男子の名で、意味はspear + rule(ger + ald 槍で治める[支配する]者?) spear-wielder(Proto-Germanic *girald 、Old High German Gerwald, waltanとか) ズムウォルトZumwaltにもみられるwalt→waldは武力で支配するといった意味とも森を意味するとも (ズムウォルトby the 森的な意味?)など諸説あるようだ。 (ランダムハウス英語大辞典 他) ルーズヴェルト(ローズベルト) roosevelt 「薔薇の野原 rose field」の意味。 参考資料 ・世界宗教事典 (青土社) ・図解 宗教史 (成美堂出版) ・日本大百科全書 (小学館) ・ランダムハウス英和大辞典 (JapanKnowledge) 関連項目一覧
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