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エジプトの神話・民話 Egypt >>関連項目一覧エジプト人は自分たちの国をケメト(「黒い土」の意)と呼んだ。ナイルの洪水によって堆積する黒土にちなんだものだ。 ナイル川と太陽は対を成す力と考えられた。ナイルの氾濫による大地の草木の再生、そして朝晩に死と再生を繰り返す太陽は、オシリス神の神格や様々な宗教的意識に影響を与えた。 エジプトの歴史は古く長い。 先王朝時代(紀元前BC3400年頃)は死者はナイルの洪水の及ばない、耕作地でない場所、沙漠に葬られた。沙漠で遺体が乾燥していったことで 人工的な遺体の保存の思想がでてきたと考えられている。 紀元前BC3100年頃のエジプト統一まで、多数の都市、国家の神々がいた。 古王国時代の紀元前BC2480年頃には太陽神ラーが神々の最高位になり広く信仰された。その後も大きく影響し続け、後にアメンと習合した神格にもなった。 紀元前2600年頃には、神官たちは神々を体系化し、いくつかを家族としてまとめた。ヘリオポリスの9柱神、ヘルモポリスの8柱神などである。 この頃から紀元前BC400年頃まで遺体の人口保存処理が行われた。 また紀元前BC2700-2200年と中王国時代の紀元前1980-1786年にはほとんどの王のためにメル(ピラミッド)が建てられたという。 エジプトはその後ローマやアレキサンダー大王の侵略をうけた。 イスラム教は9世紀にはエジプトからモロッコの地中海岸に沿って広まっていた。 後に北アフリカ、シリアも含むシーア派のファーティマ朝(紀元後909-1171年)が起こる。また1260年にはトルコ系、スンニー派の マムルーク朝がエジプトとシリアで起こり、シーア派に対して正統を復活させるが、オスマン・トルコ(オットマン・トルコ)朝(1342-1924年)によって1517年征服され、衰退する。 19世紀にエジプトはオスマン・トルコの支配下から脱出するがヨーロッパ諸国の影響が強まり、ヨーロッパの各国の支配下に入ってしまう。 あるエッセイでは遊牧生活しているエジプト人が「一般の」エジプト人を「ファラフィーン」と呼んでいた。 関連項目一覧
雑記その2 新宿エジプトツアー (C) Copyright Masahiro Aibara |